第二・三次マンションブーム | 誠和不動産販売株式会社

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第二・三次マンションブーム

第二・三次マンションブーム
著:誠和不動産販売  2015年更新


 第二次マンションブーム(1968年~1969年)

第一次マンションブームで「建物の区分所有等に関する法律」(区分所有法)が制定され、分譲マンションが
資産として認められるようになり、第二次マンションブームでは一般大衆向けの大型マンション建設ラッシュ
へと歩みを進めていきます。

これまでのマンションは高額所得者を対象とし、供給立地は大都市の一部に限られていました。
これでは供給率が上がらないため、新たな選択としてサラリーマンが購入出来るようなマンションへと広がっ
ていきます。この頃から高級マンションと大衆マンションの二極化がスタートしたと言われてます。
杉並区西荻北には代表的な大衆マンションがあります。



当時のマンションは、まだ狭く和室中心の間取りではありましたが、給湯やバランス釜式風呂など当時としては最先端の技術が導入され、売れ行きは好調でした。

 


 第三次マンションブーム(1972年~1973年)

この頃には、田中角栄首相の「日本列島改造論」が不動産ブームを生み、不動産投資に沸きました。
しかし、1973年には「オイルショック」で世界的不況となり、狂乱物価となったのもこの時期です。(生活必需品の品不足や、激しいインフレなど)

1970年からスタートした住宅金融公庫の制度を利用した「公庫融資付き分譲マンション」の供給拡大、地価高騰に
よる影響で新築マンション平均価格が1973年には、初の1000万円を超えました。同時に全国の分譲戸数が15万戸を超えるブームとなりました。

この時期に代表的となったのは住宅都市整備公団開発「多摩ニュータウンエリア」の物件です。
住宅ローン付きの低額マンションが各地に開発されていきました。

システムキッチンの導入や耐震基準(旧耐震)が導入された時期でもあります。


● 日本列島改造論とは ●
都市に集中した人・物・公害、過疎化した農村問題を解消する為、地方に分散を推奨するというもの。この計画に触発されて、土建業者や不動産業者が土地投機に走り全国的に地価高騰の影響が出ました。同時に批判や公害の拡大を懸念する声も上がりました。しかし急激なインフレ、第一次オイルショックの影響で計画は失速していきました。

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